ORIGIN STORY / BLACK VELOCITY

BLACK VELOCITY|Ghost Intervention

閉じる前に

 地下第四区画の搬入口では、救助作業が続いていた。

 天井近くを走る冷却管の一部が破損し、白い排気が断続的に噴き出している。床には冷却水と油が薄く広がり、赤い非常灯が、その表面で歪んで揺れていた。

 搬入口の奥では、遮断板が半分まで降りた状態で止まっている。

 閉じ切らない。

 だが、開きもしない。

 歪んだ支柱が遮断板の端へ食い込み、駆動部を噛ませていた。

 その手前に、一機の大型フレームが立っている。

 白灰色の厚い外装。
 幅の広い肩。
 背部へ折り畳まれた左右二本の支持アーム。
 両腕には、梁や重量物を保持するための大型保持爪。
 腰部と脚部には、倒壊現場で巨体を固定する三本の補助脚が収納されている。

 胸部に刻まれた機体識別名。

 FRAME-07 BASTION

 バスティオン。

 本来は戦闘用ではない。

 崩れた梁を持ち上げる。
 倒壊しかけた構造を支える。
 避難路を確保し、作業員を危険区域から帰す。

 人命保護型都市作業フレーム。

 それが、この機体に与えられた使命だった。

 細いバイザー型センサーは青白く発光している。

 搬入口脇の補助盤には、緑色の表示が並んでいた。

 PRIMARY FUNCTION: RESCUE(主機能:救助)
 HUMAN SAFETY: FIRST(人員安全:第一優先)
 ROUTE KEEP PRIORITY(通路維持優先)

 バスティオンは、傾いた支柱へ左腕の保持爪を添えていた。

 右腕では、遮断板の下へ落ちた外板を持ち上げている。

 動きは速くない。

 しかし、必要な場所へ必要な力だけを正確に加えていた。

 補助盤へ新しい表示が入る。

 SURVIVOR SIGNAL DETECTED(生存反応検知)
 ACCESS ROUTE CALCULATING(接近経路演算中)

 奥の作業通路から、途切れた無線が届く。

『こちら保守班……まだ三人いる』

 雑音が混じる。

『一人は脚を負傷。二人で支えている』

 バスティオンの頭部センサーが奥へ向いた。

 右腕の保持角度がわずかに変わる。

 遮断板を完全に持ち上げるのではない。

 三人が順番に通れる幅だけを残し、崩落を抑えながら救助経路を維持しようとしている。

 そのときだった。

 補助盤の認証ラインが、一瞬だけ白く飽和した。

 警告音は鳴らない。

 異常表示も出ない。

 画面の隅に、短い文字列だけが走る。

 EXTERNAL AUTHENTICATION ACCEPTED(外部認証受理)

 すぐに消えた。

 続いて、緑色の表示が一つずつ暗くなる。

 PRIMARY FUNCTION: RESCUE(主機能:救助)

 その文字が消えた。

 代わりに、赤い表示が現れる。

 BLOCKADE PRIORITY(遮断優先)

 バスティオンの左腕が止まった。

 支柱を支えていた保持爪が、ゆっくり離れる。

 傾いた梁が低く軋む。

 補助盤の表示がさらに切り替わった。

 HUMAN SAFETY: SECONDARY(人員安全:第二優先)
 DISTRICT ISOLATION: FIRST(区画隔離:第一優先)
 SEAL THE PASSAGE(通路封鎖実行)

 青白かったバイザー光が消えた。

 代わりに、赤い光が点く。

 バスティオンの頭部センサーが左右へ動く。

 人を探す動きではない。

 通路幅。
 支柱位置。
 遮断板の高さ。
 床面の耐荷重。
 搬入口を最短で塞ぐために必要な情報だけを拾い直している。

 左右の支持アームが展開する。

 だが、梁を支える角度ではない。

 壁と床へ突き立て、機体そのものを固定する角度だった。

 両腕の保持爪が閉じる。

 人や構造物を傷つけないための丸い保持パッドが内側へ収納され、代わりに瓦礫撤去用の圧砕爪が前へ出た。

 武器ではない。

 本来は、救助路を塞ぐコンクリートや金属板を砕くための装備だ。

 三本の補助脚が展開される。

 床へ食い込む角度を探り始める。

 補助盤が赤く染まった。

 CURRENT ORDER: SEAL PASSAGE(現行命令:通路封鎖)
 OBSTRUCTION REMOVAL: ACTIVE(障害物排除:実行)

 バスティオンは、遮断板の下へ持ち上げていた外板を離した。

 金属板が床へ落ちる。

 轟音が搬入口に響いた。

『フレーム、救助経路を維持しろ』

 無線命令は届いていた。

 認識もされている。

 だが、優先順位が変えられていた。

 人命救助という使命は消えていない。

 第二優先へ落とされただけだ。

 区画を隔離するためなら、救助経路を失ってもよい。

 バスティオンは、そう判断していた。

 巨体が搬入口へ一歩踏み出す。

 床が鳴る。

 散乱していた工具箱が跳ね、細いボルトが四方へ転がった。

 目的は戦闘ではない。

 自分の身体で通路を塞ぐこと。

 ただ、それだけだった。

     *

 地下第四区画へ続く連絡路では、照明が半分落ちていた。

 赤い非常灯の間を、二つの影が進んでいく。

 先を歩くのは漆黒だった。

 長い黒髪を低い位置で束ね、黒と金のロングコートをまとっている。歩幅は一定。足音は静かだった。

 その後ろを紫電が追う。

 肩に届くか届かない程度の銀紫の髪。
 黒と紫の軽量機動服。
 右手には指ぬきグローブ。指先には、まだ薄い青紫の光が残っている。

「地下で大型フレームが異常動作って、聞いてないんだけど」

「暴走とは限らない」

「人を閉じ込めようとしてるなら、同じじゃない?」

「違う」

 漆黒は振り返らない。

「壊れて動いているなら、機体を止めればいい」

「命令どおり動いてるなら?」

「命令を止める」

 紫電が眉を上げる。

「簡単に言うね」

「簡単ではない」

 連絡路の奥で、重い衝撃音が響いた。

 一度。

 間を置いて、もう一度。

 大型フレームが進んでいる音だった。

 紫電が足を速める。

「先に行く」

「待て」

 短い声だった。

 紫電の足が止まる。

 漆黒は壁面へ片手を触れた。

 黒い手袋の指先へ、構造物の微細な振動が伝わってくる。

 床。
 支柱。
 冷却管。
 遮断板。
 大型フレームの荷重。

 さらに奥。

 小さな足音が二つ。

 その間を、不規則に擦れるもう一つの動き。

「三人」

 漆黒が言う。

「足音は二つ。もう一人は支えられている」

「負傷者?」

「おそらく」

「だったら急がないと」

「だから止まれ」

 紫電が漆黒を見る。

 漆黒は冷静なままだった。

「速く入れば、届くとは限らない」

「でも、遅れたら届かない」

「道を残す」

 漆黒は壁から手を離した。

「お前は、そのあとだ」

 紫電は一秒だけ黙った。

「……了解」

 二人は再び歩き出した。

 今度は、紫電も漆黒の歩調へ合わせる。

 搬入口へ近づくほど、白い排気が濃くなる。

 赤い非常灯が白い排気の奥で滲む。

 床へ広がった冷却水が、靴底の下で薄く鳴った。

 漆黒が右手を上げる。

 二人が止まる。

 白い排気の向こうで、巨大な影が動いた。

 バスティオン。

 赤いバイザー光だけが白い排気の奥に浮いている。

 前方には、半分まで降りた遮断板。

 その奥には、取り残された作業員がいる。

 補助盤の表示は赤い。

 DISTRICT ISOLATION: ACTIVE(区画隔離:実行中)
 SEAL THE PASSAGE(通路封鎖実行)

 紫電が目を細めた。

「もう、助ける場所じゃないと見た」

「そう見ている」

「レプリカ?」

「可能性が高い」

「乗っ取られた?」

「違う」

 漆黒は補助盤を見る。

「機体そのものは正常だ。命令の順番だけを変えられた」

「それだけで?」

「それだけで十分だ」

 バスティオンの頭部センサーが二人を捉えた。

 赤い走査光が、漆黒から紫電へ移る。

 補助盤へ新しい表示が出た。

 UNKNOWN OBJECTS DETECTED(未識別対象検知)
 ROUTE OBSTRUCTION: TWO(経路障害:二)

 紫電の口元が歪む。

「私たち、障害物扱い」

「今の機体にとっては正しい」

「そこは否定して」

 バスティオンが右腕を持ち上げる。

 瓦礫撤去用の圧砕爪が開く。

 人間へ向けるためには設計されていない動きだった。

 だが、機体は迷っていない。

 命令を遂行しているだけだ。

 紫電が腰を落とす。

 足元に細い紫雷が走る。

「いつも通り?」

「止める」

「私は届く」

 バスティオンが一歩、前へ出た。

 床が鳴る。

 圧砕爪が横薙ぎに振られる。

 漆黒の視界へ、赤黒い細線が一瞬だけ走った。

「右」

 紫電が消える。

 雷鳴はない。

 紫の残光だけが、白い排気を切り裂いた。

 圧砕爪が通路を薙いだ。

 支柱。
 壁際の保守ラック。
 床へ積まれていた資材。

 バスティオンは人間そのものではなく、まず通れる形を壊しにきている。

 漆黒の視界に、赤黒い線が走る。

 圧砕腕の軌道。
 床へ伝わる荷重。
 次に崩れる支柱の位置。

「右、二歩」

 白い排気の中から、紫電の声が返る。

「見えてる」

 圧砕爪が床を打つ。

 轟音。

 鉄板がめくれ、工具箱が跳ねた。

 漆黒の影が半拍遅れて揺れる。

 黒域。

 圧砕爪の勢いが、漆黒へ届く直前に削がれた。

 完全に止めるのではない。

 加速だけを殺し、軌道を床へ沈める。

 圧砕腕は漆黒の肩先を外れ、床へ深くめり込んだ。

 紫電がその内側へ滑り込む。

 床。
 壁。
 傾いた支柱。

 使えるものを一瞬で足場へ変え、巨体の脇を抜ける。

「背中、空いてる」

「一度だけだ」

「十分」

 紫電はバスティオンの背後へ回り込む。

 三本の補助脚が、搬入口を封鎖するための固定具として展開されている。

 紫電が右手を伸ばした。

 青紫の放電が、一本の補助脚の回転軸へ細く走る。

 装甲を破壊するための雷ではない。

 展開信号の同期だけを乱す、短い干渉だった。

 火花。

 補助脚の動きが一瞬だけ遅れる。

 巨体の姿勢がわずかに揺れた。

「反応した!」

「弱点を覚えろ。まだ止まっていない」

 バスティオンの胸部表示が切り替わる。

 MOVEMENT ERROR DETECTED(動作誤差検知)
 POSTURE RECALCULATION(姿勢再演算)

 頭部センサーが後方へ回る。

 紫電を捉えた。

「もう見つけた」

「都市作業機だ。同じ事故を繰り返さない」

 漆黒が左手を上げる。

 床へ散乱していたボルトが、同じ方向へ転がり始めた。

 切断されたレール材が床を擦る。
 折れた支柱。
 潰れた工具箱。
 剥がれた外板。

 漆黒が局所的に重力の向きを傾けたことで、動かせる重量物だけがバスティオンの進路へ滑り込んでいく。

 攻撃ではない。

 一歩踏み出せば、必ず踏まなければならない位置だった。

 バスティオンが右脚を上げる。

 障害物ごと踏み砕こうとする。

 その足が降りる瞬間、黒域が右脚を包んだ。

 下向きの荷重が一段強まる。

 踏み込みが鈍る。

 ほんの半拍。

 だが、演算どおりに重心を移す巨体には、その半拍で十分だった。

 上体だけが先に前へ流れる。

 姿勢を戻すため、背面の補助脚が反射的に大きく展開した。

「今」

「入る!」

 紫電が駆けた。

 壁を蹴る。
 支柱を踏む。
 浮いた外板へ足を乗せる。

 直線ではない。

 塞がれた角度を捨て、別の角度から背面へ戻る。

 紫電の掌が、先ほど反応を確認した補助脚の根元へ触れた。

 青紫の光が継ぎ目に沿って走る。

 固定爪。
 回転軸。
 信号線。

 必要な箇所だけへ、短い放電を連続で叩き込む。

 鈍い破断音。

 補助脚の一本が完全に停止した。

 巨体が大きく姿勢を崩す。

 だが倒れない。

 バスティオンは両腕の圧砕爪を床へ突き立てた。

 二本の脚と二本の腕。

 四点支持。

 残った補助脚が即座に収納され、背面装甲が閉じる。

 紫電が目を見開く。

「引っ込めた?」

「学習した」

 補助盤へ表示が走る。

 THREAT PATTERN STORED(脅威パターン記録)
 REAR SUPPORT PROTECTION ACTIVE(背面支持保護:作動)

「一回で対策する?」

「救助機だからこそ、同じ失敗を繰り返さない」

「今それを褒める?」

「事実だ」

 バスティオンが四点支持のまま機体を低くする。

 背部を守り、腕を支点にして床を掻くように前進する。

 脚へ仕掛けた障害物を踏む必要もない。

「足止めが効かない」

「同じ手は、もう使わない」

「なら次」

 紫電が前へ出ようとした。

 その直後、胸部の作業用格納部が開いた。

 薄い金属板が十数枚、扇状に射出される。

 遠隔切断用カッタープレート。

 本来は、崩落現場で絡まったケーブルや薄い金属板を切断するための工具だ。

 今は、未識別障害物を排除するために使われている。

 半分が紫電へ。

 半分が漆黒へ。

「散らしてきた」

「連携を切る気だ」

「前、取る」

「行け」

 紫電は低く踏み込む。

 漆黒へ向かったカッタープレートは、黒域へ入った瞬間に軌道を沈めた。

 数枚が床へ落ちる。

 金属音が連続する。

 だが最後の二枚は、黒域の外縁を抜けた。

 一本が髪をかすめる。

 もう一本が頬を浅く裂く。

 血が細く引いた。

 漆黒は表情を変えない。

 紫電は一枚目をかわす。

 二枚目を身体のひねりで外す。

 三枚目。

 それは紫電の現在地ではなく、次に蹴るはずの壁面へ先回りしていた。

「読まれた!」

 紫電が進路を変える。

 だが変更先にも、もう一枚が来ている。

 バスティオンは、紫電の速度そのものではなく、足場の選び方を学習していた。

 残った壁。

 傾いた支柱。

 浮いた外板。

 紫電が使いそうな場所へ、先にカッタープレートを置いてくる。

「ずるいな」

「演算だ」

「分かってる!」

 紫電は床へ降りた。

 低い姿勢のまま、プレートの間を縫う。

 次の一歩。

 その直前、天井から低い破断音が響いた。

 漆黒が上を見る。

 戦闘の衝撃で、傾いていた梁の固定部が外れた。

 巨大な梁が、紫電の進路へ落ちてくる。

「上!」

 紫電が顔を上げる。

 避ければ、バスティオンから離れる。

 進めば、梁に押し潰される。

 漆黒が右手を上げた。

 梁の落下が一拍だけ伸びた。

 漆黒の靴底が床へ張り付く。

 肩がわずかに下がる。

 影が遅れて揺れ、周囲の音が遠のいた。

 支えられるのは一秒だけ。

「通れ」

 紫電は返事をしなかった。

 落ちてくる梁の下へ滑り込む。

 壁を蹴る。

 さらに、落下途中の梁そのものを足場に変える。

 紫雷が一閃した。

 梁の表面を蹴った反動で、身体が斜め上へ跳ねる。

 予測されていた軌道から外れた。

 カッタープレートが空を切る。

「戻る!」

 紫電の進路は一直線ではない。

 読まれた足場を捨てる。

 落ちる梁。
 折れた支柱。
 圧砕爪の外縁。

 危険なものを、次の足場へ変える。

 紫の残光が折れ、また折れ、最後にバスティオンの背面へ戻った。

 背部から新たな二枚が射出される。

 狙われているのは紫電だった。

 近い。

 避け切れない。

 その瞬間、紫電へ向かった二枚の軌道がわずかに沈んだ。

 漆黒の黒域が届いている。

 一本は背面装甲へ突き刺さる。

 もう一本は紫電の肩先を浅く裂くだけで抜けた。

 紫電は背面装甲へ手を伸ばす。

 だが、装甲が閉じた。

 右手を引く。

 ほんのわずか遅い。

 指先が装甲の縁をかすめる。

 同時に、ここまで繰り返した加速と放電の反動が、一気に右腕へ返ってきた。

「っ……!」

 指先から肘まで、強い痺れが走る。

 着地が乱れた。

 紫電は肩から床へ転がる。

 バスティオンの頭部センサーが下を向く。

 圧砕爪が持ち上がる。

 紫電を殺すためではない。

 経路上の障害物を除去するため。

 だが結果は同じだ。

 振り下ろされれば、助からない。

 漆黒が左手を向ける。

「止まれ」

 圧砕爪の速度が鈍る。

 四点支持で機体全体の荷重が腕へ集まっている。

 完全に固定する余裕はない。

 軌道だけがわずかに外れた。

 圧砕爪は紫電のすぐ横へ落ち、床を砕く。

 衝撃で紫電の身体が浮いた。

 漆黒が重力の向きを横へずらす。

 紫電の身体は崩れたラックの陰へ流れた。

「支障は」

 紫電が右手を開こうとする。

 指が半分しか伸びない。

「痺れてる。でも動ける」

「精度が落ちる」

「分かってる」

 紫電は立ち上がった。

「次は外さない」

 バスティオンの胸部表示が点滅する。

 OBSTRUCTION RESISTANCE: HIGH(障害抵抗:高)
 ALTERNATE SEAL METHOD SELECTED(代替封鎖手段選択)

 漆黒が補助盤を見る。

「方法を変える」

「何に」

 バスティオンの両腕が床へ深く食い込んだ。

 左右の支持アームが、搬入口両側の壁へ固定される。

 脚部ロックが解除された。

 上半身が、搬入口へ向かって傾き始める。

 脚で進まない。

 腕でも進まない。

 機体そのものを倒し、巨体で通路を塞ぐ。

 補助盤へ新しい表示が出る。

 PRIMARY FUNCTION LOCK(主機能固定)
 BODY SEAL PROCEDURE(機体封鎖手順)

 紫電が白灰色の巨体を見上げた。

「自分ごと塞ぐ気?」

「そうだ」

「本当に救助用?」

「だからこそだ」

 崩落現場で、自分を仮設支柱にして人を守る。

 その設計思想が、封鎖命令へ反転して利用されている。

 自分の機体を失っても、区画を閉じる。

 それが、書き換えられた優先順位の結論だった。

 搬入口の奥から、かすかな無線が届く。

『こちら保守班……遮断板の下は、まだ通れる』

 バスティオンが倒れ込めば、その隙間も消える。

「漆黒」

「分かっている」

「止められる?」

 漆黒は、傾く巨体を見る。

 右腕。
 支持アーム。
 胸部中枢。
 床へ伝わる荷重。

「全体は止め切れない」

「じゃあ?」

「命令経路へ届け」

 紫電が漆黒を見る。

「私が?」

「他にいない」

 紫電は痺れた右手を握る。

 力が入り切らない。

「どこまで開けばいい」

「背面中枢。外部命令バスへ届けば、封鎖命令を切れる」

「そのあと?」

「残った演算を私が押さえる」

「失敗したら」

「道が閉じる」

「そうじゃなくて」

 紫電は漆黒を見る。

「そっちが、全部受けることになる」

 漆黒は答えなかった。

 その沈黙が答えだった。

 補助盤の表示が進む。

 BODY SEAL: THIRTY PERCENT(機体封鎖:三十パーセント)

 紫電が右手を一度振る。

 痺れは消えない。

 それでも構える。

「じゃあ、先に終わらせる」

「紫電」

「何」

「戻れ」

 紫電が一瞬だけ目を細める。

「最初から、そのつもり」

 足元に紫雷が走る。

 雷鳴はない。

 紫の残光だけが、白い排気の中へ鋭く伸びた。

 紫電は傾く巨体の脇を駆けた。

 床だけではない。

 崩れた外板。
 壁へ伸びる支持アーム。
 バスティオンの肩装甲。

 使えるものを一瞬で選び、次の足場へ変える。

 右手の痺れは残っている。

 握力が落ちている。

 指先の感覚も鈍い。

 だから、長く触れない。

 必要な場所へ、必要な時間だけ届く。

 それしかない。

 バスティオンの頭部センサーが紫電を追う。

 胸部表示が切り替わった。

 HIGH-SPEED OBJECT TRACKING(高速対象追跡)
 PREDICTED ROUTE UPDATE(予測経路更新)

 カッタープレートが射出される。

 紫電の現在地ではない。

 次に蹴るはずの支柱。
 肩から背面へ回る角度。
 着地に選ぶはずの外板。

 すべて先回りされている。

「また読んでる」

 紫電が進路を捨てた。

 足場のない方向へ跳ぶ。

 白い排気の中。

 一瞬だけ身体が宙へ投げ出される。

 飛んでいるのではない。

 落ちている。

 足元へ青紫の閃光が走る。

 地面のない場所を蹴る。

 紫雷空走。

 身体が横へ押し出され、予測軌道から半身分だけ外れた。

 カッタープレートが髪先を切る。

 もう一枚が脇腹を浅くかすめた。

 熱が走る。

 だが止まらない。

 バスティオンの背面装甲が視界へ入る。

「あと少し」

 漆黒の声が飛ぶ。

「分かってる」

 その直後、バスティオンの右支持アームが急角度で振られた。

 紫電を狙った攻撃ではない。

 壁へ固定し直すための動作。

 だが、紫電の進路と重なった。

 避ければ背面から離れる。

 進めば弾かれる。

 紫電は支持アームの先端を見た。

 壁へ届く直前。

 まだ固定されていない。

「使う」

 紫電は支持アームへ足を乗せた。

 振られる力を、そのまま加速へ変える。

 身体が大きく跳ねる。

 バスティオンの背中を越え、頭部センサーの死角へ回り込んだ。

 紫電が背面装甲へ左手をつく。

 痺れた右手を、装甲の継ぎ目へ押し当てる。

 青紫の放電が走る。

 火花。

 固定爪が一つ外れた。

 だが装甲板は開かない。

「一枚じゃ足りない」

「下だ」

 漆黒の声。

 紫電は装甲下端へ視線を落とす。

 冷却戻り線の脇に、補助固定爪がある。

 姿勢を下げる。

 背部から二枚のカッタープレートが噴いた。

 紫電へ向かってくる。

 避けられない。

 だが、二枚の落ち方がわずかに沈んだ。

 一本は背面装甲へ突き刺さる。

 もう一本は紫電の肩を裂くだけで抜けた。

 黒域が届いている。

 漆黒は、巨体の倒れ込みを押さえながら、紫電へ向かったプレートの軌道までずらしていた。

 負荷が重なる。

 漆黒の足元で、床の亀裂が広がる。

 右手の指先がわずかに震えていた。

「紫電」

「見えてる」

「急げ」

「今やってる!」

 紫電は補助固定爪へ右手を当てる。

 感覚が鈍い。

 出力を上げれば、右手そのものが動かなくなる。

 低く。

 短く。

 細い放電を一本だけ通す。

 固定爪の内部が焼けた。

 小さな破断音。

 装甲板の下端が浮く。

「開いた」

「まだだ」

 背面装甲が内側から閉じようとする。

 紫電は左手を隙間へ差し込んだ。

 指ぬきグローブ越しに圧力がかかる。

 装甲が閉じる。

 骨が軋む。

「漆黒!」

 漆黒が左手を返す。

 背面装甲の閉鎖速度が鈍った。

「一秒」

「十分!」

 紫電は右手を隙間へ差し込んだ。

 内部。

 補助配管。
 冷却戻り線。
 演算束。
 診断光。

 密集した配線の中に、赤く脈動する外部命令バスがある。

 その隣には、本来の救助演算へつながる青白い制御線が残っていた。

 間違えれば、バスティオンそのものが機能を失う。

 切るべきなのは、レプリカが追加した外部命令経路だけ。

「見つけた」

「確実か」

「確認する」

 紫電は右手首を装甲の縁へ押し当てた。

 握るのではなく、位置を固定する。

 弱い放電を外部命令バスへ流す。

 胸部表示が乱れた。

 SEAL COMMAND LINK(封鎖命令接続)
 EXTERNAL ROUTE ACTIVE(外部経路作動中)

「これだ」

 紫電が息を吐く。

「切る」

 青紫の放電が、赤い命令バスへ鋭く走った。

 外皮が焼ける。

 短い干渉を続けて叩き込む。

 命令経路が途切れた。

 バスティオンの全身が大きく震える。

 補助盤の表示が明滅した。

 EXTERNAL ORDER LOST(外部命令喪失)
 PRIMARY FUNCTION CONFLICT(主機能競合)

「切った!」

 紫電が叫ぶ。

 だが、バスティオンは止まらない。

 外部命令は消えた。

 それでも、すでに開始された封鎖処理が機体内部に残っている。

 巨体の倒れ込みが続く。

「まだ動いてる!」

「実行中の処理が残っている」

 胸部表示に、二つの命令が重なった。

 PRIMARY FUNCTION: RESCUE(主機能:救助)
 CURRENT PROCESS: SEAL PASSAGE(現行処理:通路封鎖)

 青白い文字と赤い文字。

 同時に点滅する。

 バスティオンの動きがぎこちなくなった。

 右腕は搬入口へ向かおうとする。

 左腕は、崩れかけた支柱へ伸びようとする。

 脚部は封鎖姿勢を取りながら、補助脚は救助姿勢へ戻ろうとしている。

 紫電が背面から離れ、床へ降りる。

「迷ってるみたい」

「そう見えるだけだ」

「二つとも、命令だから?」

「どちらも捨てられない」

 バスティオンは人間のように迷っているわけではない。

 ただ、どちらも機体にとって正しい。

 人を守れ。

 通路を閉じろ。

 両立できない命令が、同じ機体の中で衝突している。

 補助盤へ赤い表示が戻る。

 SEAL PROCESS RESUME(封鎖処理再開)

 同時に青白い表示が割り込んだ。

 SURVIVOR SIGNAL DETECTED(生存反応検知)

 紫電が奥を見る。

 遮断板の向こう。

 かすかな咳。

 脚を引きずる音。

 まだ三人が動いている。

「漆黒」

「分かっている」

「これ、止めたら救助機能まで止まる?」

「止め方による」

「時間ある?」

「ない」

 漆黒が両手を上げた。

 黒域が胸部中枢へ収束する。

 空気が重くなる。

 漆黒の足元で床材が低く軋んだ。

 倒れ込みがさらに遅くなる。

 だが、封鎖処理そのものは消えていない。

「紫電」

「何」

「赤だけを切れ。青は残せ」

 紫電は右手を見る。

 指先は、もうほとんど動かない。

「右手は無理」

「左で行け」

「雑だな」

「行ける」

 紫電が短く笑った。

 痛みと緊張を押し切るための笑いだった。

「そういう言い方、嫌いじゃない」

 足元に紫雷が走る。

 紫電は再び前へ出た。

 今度は右手を使わない。

 左手だけで背面装甲の隙間へ入る。

 内部で、赤い封鎖処理線と青白い救助制御線が並んでいる。

 左手では、右手ほど精度が出ない。

 青紫の放電が青白い線へ近づく。

「ずれる」

「押さえる」

 漆黒が右手を閉じた。

 紫電の腕を固定したのではない。

 バスティオン内部の振動だけを一瞬抑えた。

 その一瞬。

 紫電の左手が赤い封鎖処理線へ触れる。

「今度こそ」

 細い放電が走った。

 赤い線が途切れる。

 補助盤から赤い表示が消えた。

 CURRENT PROCESS: NONE(現行処理:なし)

 封鎖動作が止まる。

 だが、巨体はすでに前へ傾きすぎていた。

 姿勢を戻す演算が間に合わない。

「倒れる!」

 紫電が背面から離れる。

 漆黒は退かなかった。

 両手を前へ出す。

 機体全体を空中で止めることはできない。

 だから、倒れる方向だけを変える。

 搬入口へ落ちる軌道を、補強壁側へずらす。

 黒域が大きく揺れた。

 漆黒の膝が沈む。

 右肩が下がる。

 白灰色の巨体の軌道が、数度だけ外れた。

 その瞬間。

 バスティオンの左腕が動いた。

 青白い救助演算が戻り始めている。

 左腕の保持爪が、傾いた支柱を掴む。

 右腕が床へつき、自らの重量を受ける。

 左右の支持アームが壁面を押さえた。

 倒れる姿勢が、支える姿勢へ変わる。

 漆黒が目を細めた。

「戻った」

 バスティオンのバイザーが青白く点灯する。

 補助盤の表示が順に戻った。

 PRIMARY FUNCTION: RESCUE(主機能:救助)
 HUMAN SAFETY: FIRST(人員安全:第一優先)
 PASSAGE CLEARANCE ACTIVE(通路確保:実行中)

 バスティオンは右腕で自重を支え、左腕で歪んだ遮断板を持ち上げた。

 人が一人通れる幅が開く。

 奥から作業員たちが現れた。

 一人。

 二人。

 最後に、二人へ肩を借りた三人目。

 三人目の足が、遮断板の下を抜ける。

 補助盤へ一行が表示された。

 RESCUE ROUTE SECURED(救助経路確保)

 続いて、もう一行。

 RESCUE HOLD ACTIVE(救助保持継続)

 紫電が息を吐いた。

「守った」

「そうだ」

 バスティオンの青白いバイザーが一度だけ明滅する。

 感謝ではない。

 任務が成立したことを示す、ただの動作応答。

 それだけで十分だった。

     *

 紫電が壁際へ座り込む。

 右手を開こうとする。

 指はまだ半分しか動かない。

「しばらく使えないな、これ」

「無理をした」

「止めなかったでしょ」

「止めても行った」

「正解」

 漆黒は答えない。

 頬の血を手袋の甲で拭う。

 紫電が見上げた。

「そっちも結構ひどい」

「支障ない」

「便利な言葉だね」

 奥では、救助された作業員たちが応急処置を受けている。

 短い咳。

 無線の応答。

 慌ただしい足音。

 通路は残った。

 バスティオンも残った。

 レプリカの外部命令経路だけが切れている。

 漆黒は補助盤へ近づいた。

 表示の片隅に、短い記録が残っている。

 EXTERNAL AUTHENTICATION SOURCE: UNKNOWN(外部認証元:不明)

 紫電も隣へ来る。

「やっぱり、レプリカ?」

「痕跡はある」

「逃げた?」

「最初から、ここにはいない」

「幽霊みたい」

「だから厄介だ」

 紫電は、救助姿勢を維持するバスティオンを振り返る。

「でも、戻せた」

「今回は」

「次も戻す」

「簡単に言う」

 紫電が口元を上げる。

「誰かさんの真似」

 漆黒は何も言わない。

 ただ、搬入口の奥へ視線を向ける。

 白い排気の向こう。

 まだ完全には開いていない道。

 その先には、別の区画が続いている。

「終わった?」

 紫電が聞く。

「封鎖は止まった」

「道は?」

「まだ通る」

 紫電が立ち上がる。

 右手は使えない。

 それでも左手でジャケットの裾を払った。

「なら、まだ終わりじゃない」

「……ああ」

 漆黒が先に歩き出す。

 黒いコートの裾が、半拍遅れて揺れる。

 紫電がその横へ並ぶ。

 二人は振り返らない。

 背後に残っているのは、沈黙した敵ではない。

 本来の使命へ戻った、守るための巨体だった。

 止める者。

 届く者。

 守る者。

 三者が、それぞれの役割へ戻ったあと。

 漆黒と紫電は、白い排気の奥へ進んでいく。

 まだ閉じていない道の、その先へ。


エピローグ

 地下第四区画搬入口において、人命保護型都市作業フレーム FRAME-07 BASTION が異常動作。

 機体制御履歴から、外部認証による優先順位書換を確認。

 書換内容は以下のとおり。

 HUMAN SAFETY: FIRST(人員安全:第一優先)
 から
 DISTRICT ISOLATION: FIRST(区画隔離:第一優先)

 へ変更。

 機体は通路封鎖動作へ移行したが、外部命令経路切断後、救助モードへ復旧。

 残留作業員三名は全員離脱。

 機体は救助経路を保持したのち、到着した保守班へ引き継がれ、待機状態へ移行。

 監視映像の一部に欠損あり。

 身元および公式入域経路を特定できない二名の介入痕跡を確認。

 外部認証元は不明。

 記録上、当該事象は以下の名称で保存された。

 GHOST INTERVENTION
 (幽霊介入事案)