公開イベント当日。
アークシティの中央公開区域には、朝から人が集まっていた。
一日公開証を持った来訪者。
外部視察団。
市民代表。
報道関係者。
アークドームを正面に見る広場には、大型表示壁が設置されている。
流れる予定の映像は、公開情報局が準備した紹介映像だった。
題名は、帰れる都市。
アークシティが、ただ美しいだけの都市ではなく、異常時にも生活導線を戻す都市であることを示す映像。
凪も構成補助に入っていた。
最初の案より、ずっと現実に近い。
それでも、整えられた映像だった。
広報中枢塔の管制室には、複数部署の担当者が詰めていた。
公開情報局。
都市運営局。
生活基盤部。
都市保安局。
災害対応局。
倫理監査部。
凪は都市観測解析室からの出向者として、広報側の席にいた。
玲は監査側。
澪は生活基盤部の現場連絡員として、下層通路へ出ていた。
仁はいない。
この段階では、危険区画対策室が出る案件ではない。
予定通りなら、ただの公開イベントで終わるはずだった。
開始十分前。
凪の画面に、小さな偏りが出た。
中央公開区域から下層連絡路へ向かう人流が、予測より遅い。
原因は、案内表示の切替遅延。
まだ事故ではない。
危険区画でもない。
だが、凪はその数値から目を離せなかった。
「瀬尾管理官」
「はい」
「下層連絡路の表示切替が遅れています。人流も少し落ちています」
瀬尾は画面を確認した。
「生活基盤部へ確認を」
「自動通知は出ています」
「では現地確認待ちです」
凪は頷いた。
その判断は妥当だった。
公開情報局が導線を動かすわけではない。
凪が現場を止めるわけでもない。
広報ができるのは、必要な時に、必要な形で知らせる準備をすることだった。
イベントは予定通り始まった。
大型表示壁には、都市紹介映像が流れている。
アークドーム。
エアロシャトル。
居住基盤区。
保守作業員。
帰宅導線。
整えられた都市の顔。
広場の来訪者は、その映像を見上げていた。
その間にも、下層連絡路の数値は少しずつ変わっていく。
凪は生活基盤部の現場回線を開いた。
「紫藤さん、下層連絡路の状況を確認できますか」
『今、表示盤前にいる。表示が古いまま残ってる場所がある』
「危険は」
『今のところない。ただ、人が表示を信じて戻り始めてる』
通信の向こうで、人の声が重なった。
澪の声はいつもより少し低かった。
『まだ止まってはいない。でも、止まり方が悪い』
「止まり方?」
『人が理由を分からないまま止まってる』
凪は画面を見た。
人流はまだ警告色ではない。
だが、予測線からは外れ始めていた。
「瀬尾管理官」
「案内文の準備を」
「はい」
凪は入力欄を開いた。
だが、手が止まった。
原因は確定していない。
復旧見込みも出ていない。
危険は確認されていない。
しかし、安全確認が終わったわけでもない。
出せる言葉が少なすぎる。
「赤嶺さん」
瀬尾が呼ぶ。
「文面は」
「……まだ出せません」
「理由は」
「情報が足りません」
凪は画面を見たまま答えた。
「原因も、復旧見込みも、確定していません」
「なら、確定していないことを出すしかありません」
瀬尾はそう言った。
凪は顔を上げる。
「確定していないことを、ですか」
「広報は、答えだけを出す部署ではありません」
瀬尾は大型表示壁を見た。
「今分かっていることと、まだ分からないことを分けて出します」
凪は入力欄へ向き直った。
その時、監査回線が開いた。
玲だった。
『現地映像の混入ログを確認しました』
「広場表示には一瞬だけ出ています」
『使用する場合は、顔処理と音声遮断が必要です』
瀬尾が答える。
「現時点では現地映像は使いません。案内文のみで対応します」
『分かりました。判断履歴に残してください』
玲の声は短かった。
決めるためではない。
残すための確認だった。
凪は文面を作った。
現在、下層連絡路の案内表示に遅れが発生しています。
原因を確認中です。
利用可能な経路は係員が順に案内します。
広場側でお待ちください。
瀬尾が確認する。
「出します」
決定は瀬尾が下した。
大型表示壁の下部に案内文が表示される。
広場の人々が文字を読む。
ざわめきは起きた。
だが、下層へ降りようとする流れは少し鈍った。
数分後。
生活基盤部から追加報告が入る。
『補助導線にも表示遅延。古い案内に従って逆方向へ戻る人が出ています』
瀬尾が都市運営局側の担当者を見る。
「導線変更判断は」
都市運営局の担当者が答えた。
「生活基盤部判断で、下層流入を一時抑制します。広場側待機を案内してください」
広報の役割が変わる。
都市紹介ではなく、待機案内。
瀬尾が凪へ言った。
「大型表示壁を案内専用に切り替えます。文面を」
「はい」
凪は入力した。
下層連絡路と補助導線の案内表示に遅れが出ています。
広場から下層へは降りず、係員の案内をお待ちください。
帰れる道は、係員が順に案内します。
瀬尾が頷く。
「切り替えます」
その直後、危険区画対策室から回線が入った。
火守仁だった。
『状況を確認した』
管制室の空気が一段硬くなる。
都市運営局の担当者が応じた。
「現時点では危険区画指定の対象ではありません」
『分かっている』
仁の声は低かった。
『だが逆流が続けば、危険区域になる前に人が倒れる』
「下層流入は抑制しています」
『なら広場表示を維持しろ。美しい映像へ戻すな』
瀬尾が答える。
「案内専用表示を継続します」
『現地映像は使うな。顔が映る』
「使用しません」
『判断履歴に、切替時点を残せ』
凪は短く答えた。
「登録します」
仁はそれ以上言わなかった。
予定映像は止まった。
大型表示壁には案内だけが残った。
公開イベントとしては、明らかな失点だった。
だが、下層へ降りる人は減った。
生活基盤部の係員が、別導線へ人を流し始める。
澪の声が入る。
『こっち、少し戻せる』
凪はその声を聞きながら、画面を見ていた。
広場と下層が、別の街にならずに済んだ。
復旧まで二十六分かかった。
けが人は出なかった。
帰れない人も出なかった。
だが、何も起きなかったわけではない。
美しい都市映像は止まった。
案内は遅れた。
判断は割れた。
凪はそのすべてを、判断履歴の仮登録欄に残した。
まだ清書はできない。
何を書けば十分なのかも分からない。
ただ、空白のままにはしなかった。
