その光は、騒がれなかった。
一般に確認できる記録として最初に残ったのは、夜景を撮った短い投稿だった。
中央区のビル群の上に、白い点が映っていた。
深夜二時十七分。
三秒ほど。
飛行機ではない。
ドローンでもない。
レンズの反射とも少し違う。
ただ、高い位置に、白い光があった。
同じ時刻、中央区の定点カメラにも似た光が残っていたらしい。
ただし、その映像が外へ流れたわけではない。
「定点側にもあるみたい」
そんな短い書き込みが、投稿の下に一つあっただけだった。
翌朝になっても、街はいつも通り動いていた。
白峰市は静かだ。
事故は減っている。
怒鳴り声も減っている。
小さな衝突は、以前より目に見えて少なくなった。
FLOWがすべてを変えたわけではない。
だが、変わった部分があるのは確かだった。
人は少しだけ落ち着き、
少しだけ急がなくなり、
少しだけ他人に苛立たなくなった。
その変化は、穏やかで、合理的で、否定しづらい。
だからこそ、空に現れた白い点も、大きな騒ぎにはならなかった。
澪は、昼過ぎにその投稿を見つけた。
東区のカフェ。
配信の打ち合わせ帰り。
隣の席で、誰かがスマートフォンの画面を見せながら言っていた。
「これ、ちょっと変じゃない?」
気になって、澪も検索した。
すぐに同じ投稿が出てきた。
画面には、夜景の上に小さな白い点が映っている。
手ぶれが少しあり、音もほとんど入っていない。
ただ、夜のビル群の上に、白い点だけがあった。
コメント欄は静かだった。
綺麗。
星かな。
反射っぽい。
別に害はなさそう。
それで終わっている。
拡散も炎上もない。
陰謀論に走る声も少ない。
誰も大騒ぎしない。
澪はそのことが少し不思議で、少し自然にも思えた。
害がないなら、騒ぐ理由もない。
今の白峰市は、そういう街になっていた。
夜。
空見橋の上で、澪は玲にその話をした。
「街角の動画に映ってた。定点カメラにも残ってたらしいけど、そっちは流出じゃなくて、書き込みだけ」
玲は柵に手を置いたまま、少しだけ目を細めた。
「消されなかったんだ」
「うん。少なくとも、投稿は残ってた」
「削除もされない」
澪は肩をすくめる。
「別に、困るものじゃないからじゃない?」
玲はすぐには答えなかった。
橋の下を走る環状線のライトが、濡れた路面に細く流れていく。
上を見れば、今夜も同じ方角にあった。
高い位置に、白い光。
昨日と同じように。
何も言わず。
何もせず。
ただ、そこにある。
「害はないよね」
澪が言う。
玲はうなずかない。
否定もしない。
少ししてから、静かに言った。
「誰も騒がないのが、不思議だ」
「騒ぐ理由がないからじゃない?」
「そうかもしれない」
玲はそこで言葉を切る。
「でも、意味が分からないものを、そのまま受け入れるのは少し怖い」
澪は光を見上げた。
白い点は、まるで街の外に属しているみたいだった。
けれど遠すぎて、敵意も感じない。
近づいてくる気配もない。
「意味が分からないって、どういうこと?」
「何もしないこと」
玲は視線を上げたまま答える。
「現れたなら、理由があると考えたくなる」
「でも、ただ在るだけかもしれない」
「それが怖い」
風が吹く。
雨の匂いが、まだ少し残っている。
澪はポケットの中で指を握った。
「観察、って感じだよね」
昨日と同じ言葉を、今日は少しだけ本気で言った。
玲はすぐに返さない。
「何を見てると思う?」
「分からない」
「私たち、とか」
澪はそう言って、少し笑う。
冗談のつもりだったのに、声は思ったより軽くならなかった。
玲は白い点から目を離さない。
「見られていても、変わらない」
「変わる必要、ある?」
「ない」
その返事は短く、固かった。
帰り道、澪は昼間見つけた投稿をもう一度開いた。
白い点は確かに映っていた。
三秒ほど。
無音に近い。
誰かが切り取った、短い記録。
投稿の下に表示された分類は、簡素だった。
未分類。
少しだけ、澪はその文字を見つめた。
うまく名前をつけられないもの。
整理されないもの。
意味が割り当てられていないもの。
白峰市では、そういうものが少しずつ減っている。
感情も。
衝動も。
曖昧さも。
でも、空の白い点だけは、まだ未分類のままだった。
その夜も、光は消えなかった。
近づきもせず、遠ざかりもせず。
ただ、記録される。
それでも人は、
自分で意味を与えるか、与えないかを選ぶ。
光は消えない。
それでも、私たちは自分で選ぶ。
