SHORT STORY / BLACK VELOCITY

第四話 劣等感の怪人クラベール

 夜。

 喫茶「はり」。

 ミオはカウンター席から、窓の向こうを見ていた。

 通りの向かいに、新しいカフェができている。

 大きな窓。明るい照明。窓際の席まで客で埋まっていた。

「マスター」

「なんだ」

「あっち、満席だよ」

「そうだな」

「気にならない?」

「ならない」

 ミオは店内を見回した。

 客席にいるのは、レイ、ナギ、ミオの三人だけだ。

 カウンターの中にはジンがいる。

「こっち、四人しかいないよ?」

「俺を数えるな」

「じゃあ三人。売上では負けてるよね」

「勝負してない」

 ジンは洗ったカップを棚へ戻した。

 向かいの店を見ようともしない。

 ミオは窓とジンを見比べた。

「強いな、その考え方」

「客の数より、昨日のコーヒーと比べろ」

「そこは比べるんだ」

「味は毎日見る」

 ナギが壁の時計を見た。

「そろそろ帰りましょうか」

 レイもカップを置いた。

 今日は三人とも、イベントプラザまで同じ道だ。

「じゃあ、また明日」

 ミオがジンへ手を振る。

「向かいへ行くなよ」

「行かないって」

「コーヒーを並べて飲むな」

「やっぱり気にしてるじゃん」

 ジンは答えず、次のカップを拭き始めた。

 ⸻

 夜の商業街区。

 三人は白いジャケット姿で、イベントプラザへ入った。

 広場を囲む大型ビジョンに、広告が次々と映る。

 トロフィーを掲げる会社員。

 高級ホテルのプールサイドで笑う家族。

 新作の服を着て歩くモデル。

 ゴールテープを切るランナー。

 どの画面にも、転ぶ人や迷う人は映っていない。

 ミオが歩きながらランナーを見上げた。

「足、きれいに上がってる」

 右足の踵が、画面の走り方をなぞるように浮いた。

 前を歩いていた女性が急に止まった。

 画面のモデルを見る。

 次に、自分の上着を見る。

 女性は襟を隠すように押さえ、来た道へ引き返した。

 広告塔の下では、会社員が端末を見ていた。

 画面には営業成績の順位が並んでいる。

 会社員は一位の名前と自分の名前を見比べた。

「自分は駄目だ」

 端末を閉じる。

 それでも歩き出さない。

 広場の別の場所からも声が上がった。

「私には似合わない」

「あの人みたいにはできない」

 ミオの踵が床へ戻った。

「これ、普通じゃない」

「比べて」

 広告塔の根元から声がした。

 三人が振り向く。

 黒い怪人が立っている。

 細い身体。

 顔の左右には、縦長の鏡板。

 胸には、上下に分かれた白い目盛りが光っていた。

「どっちが上?」

「どっちが下?」

 怪人の鏡板が女性へ向く。

 鏡の表面に、広告のモデルと女性の姿が並んだ。

 女性の膝が曲がる。

 レイが二人の間へ入った。

「画面を見ないでください。西側の通路へ移動します」

 ミオは近くの人へ手を振った。

「歩ける人は、白い案内板の方へ!」

 ナギが端末に広場の見取り図を出す。

「西側の通路は空いています。階段は使わず、一階のまま進んでください」

 人々が移動を始めた。

 だが、上着を押さえた女性と、端末を閉じた会社員は動かない。

 二人は広告塔から五メートルほど離れた場所で、下を向いていた。

 ミオが女性の腕へ手を伸ばす。

「一緒に行こう」

「私があっちへ行ったら、服を見られる」

 女性は顔を上げない。

 会社員も首を横へ振った。

「自分が混じったら、邪魔になる」

 怪人が鏡板を開く。

 白い光が二人へ伸びた。

 レイが光の前へ立つ。

「ミオ。二人の前を空けないでください」

「了解」

 ミオとレイが二人を背にして並ぶ。

 ナギが怪人へ端末を向けた。

「周囲の劣等感が、鏡板の発光に合わせて上昇しています」

 表示を確認する。

「発生源は、あの個体です。仮称、クラベール」

 レイが腰の黒いバックルへ手を当てた。

「装着します」

 三人が構える。

「ARK SUIT――ENGAGE」

 三人のバックルが開く。

 白いジャケットが光へ変わり、黒いフィールドスーツが全身を包んだ。

 胸、肩、前腕、腰、膝、脛。

 白い装甲が順番に固定される。

 レイの肩と前腕には厚い装甲が展開した。マゼンタのラインが走り、左肩に「CENTER」の表示が灯る。

 ミオの膝と足首では高機動ユニットが開いた。シアンのラインが点灯し、右肩と脚部に「BREAK」の文字が浮かぶ。

 ナギの肩と前腕で小型センサーが起動する。眼鏡の上へ透明なバイザーが降り、ゴールドの照準が広場を走った。左肩には「SCAN」。

 三人の胸部エンブレムが同時に光る。

「アーク・センター、レイ」

「アーク・ブレイク、ミオ!」

「アーク・スキャン、ナギ」

 クラベールは、三人の正面十メートルにいる。

 三人の背後、五メートル先には、動けない女性と会社員。

 その頭上には、大型ビジョンを支える金属フレームがある。

 避難した人々は、西側の通路まで離れていた。

 クラベールが顔の鏡板を開く。

 白い光が三人の足元へ届いた。

 ミオの正面に、背丈より大きな鏡が現れる。

 鏡の中にも、アークスーツ姿のミオがいた。

 鏡の前に、三つの標的が点灯する。

 鏡の中のミオが走った。

 一つ目を切る。

 着地と同時に二つ目へ向きを変える。

 一度も止まらず、三つ目まで切り抜けた。

「迷わない」

「減速しない」

「そっちが上」

 ミオの右足が半歩前へ出た。

 足首の高機動ユニットが低く鳴る。

 あの走り方なら、レイに攻撃を受けさせない。

 子どもの前で急停止することもない。

 遠回りの道を選ばなくても、全部に間に合う。

 ミオは右手を握った。

 前腕のブレードが、数センチだけ開く。

「私だって、それくらい――」

 言い切る前に、左を見る。

 女性と会社員は、まだ動けない。

 クラベールが笑った。

「後ろを見る」

「だから遅い」

 ナギの前にも鏡が現れた。

 鏡の中のナギは、六つの波形を一度見ただけで、赤い発生源を選んだ。

「迷わない」

「一度で当てる」

 ナギのバイザーに六つの警告が重なる。

 ナギの指が一度止まった。

 レイの前の鏡には、三方向から飛ぶ光弾が映っている。

 鏡の中のレイは、背後の三人へ一発も通さず、すべて正面で止めた。

「全部守る」

「一歩も下がらない」

 レイのマゼンタのラインが弱くなる。

 クラベールの胸の目盛りが上へ伸びた。

「できる方が上」

「止まった方が下」

「外した方が下」

 ミオは鏡の中の自分だけを見た。

 あれを切れば、自分も同じ速さで動けると証明できる。

 右足へ力を入れる。

 その瞬間、ナギが顔を上げた。

「左後方。フレームの支柱に高出力反応」

 クラベールが左腕を振る。

 白い光線が、女性たちの頭上にある支柱を撃った。

 ボルトが二本飛ぶ。

 金属フレームが、女性と会社員の方へ傾いた。

 ナギのバイザーに落下線が出る。

「落下まで三秒」

 鏡の中のミオが、クラベールへ走り続けている。

「今なら届く」

「後ろへ戻れば遅れる」

 ミオの身体は怪人へ向いていた。

 顔だけが背後へ動く。

 女性が頭を抱えている。

 会社員は立とうとして、膝をついた。

「レイ、フレーム中央!」

 ナギの声が飛ぶ。

 レイが鏡から目を離した。

 女性たちの方へ走る。

「ミオ。二人を外へ」

 ミオの前腕ブレードが閉じた。

 右足を引く。

「了解!」

 レイが落下地点へ滑り込んだ。

 頭上から落ちてきたフレームを、両腕で受け止める。

 金属が白い前腕装甲へぶつかった。

 レイのブーツが床を二十センチ滑る。

 それでも、フレームは女性たちの頭上で止まった。

 ミオがレイの右腕の下へ入る。

 まず、女性の腰と腕を支えた。

「立てる?」

「足が……」

「私が運ぶ」

 ミオは女性を抱え、右へ五メートル走った。

 落下線の外へ下ろす。

 すぐに向きを変えた。

 鏡の中のミオが、三つの標的を切り終えている。

「一人しか運べない」

「遅い」

 ミオは鏡を見ず、レイの左腕の下へ戻った。

 会社員の肩を担ぐ。

「立って。あと三歩」

 会社員の靴が一歩進む。

 二歩目で膝が崩れた。

 ミオが身体を支え、そのまま落下線の外へ引いた。

「二人とも出た!」

 ナギのバイザーに、右側の空いた床が緑色で表示される。

「レイ。フレームを右へ九十度回してください。下ろす場所は無人です」

「分かりました」

 レイはフレームの中央を支えたまま、右足を軸にした。

 左端を持ち上げる。

 フレームの向きが九十度変わった。

 誰もいない床へ、ゆっくり下ろす。

 金属音が広場へ響いた。

 完璧な三人を映していた鏡が波打ち、足元から光の粒へ崩れた。

 クラベールが両腕を広げる。

「一人では受けられない!」

「一人では二人を運べない!」

「一人では安全な場所も分からない!」

 ミオは女性と会社員がフレームの外にいることを確かめた。

 前腕のブレードを開く。

「一人で全部やるって、誰も言ってない!」

 レイがミオの隣へ戻る。

 ナギも二人の右へ並んだ。

 クラベールが鏡板を強く光らせる。

 三枚の鏡が床から立ち上がった。

 左、中央、右。

 三人とクラベールの間を塞ぐ。

 鏡の中では、失敗しない三人が同じ動きを繰り返していた。

 ナギのバイザーに数値が出る。

「三枚とも光で作られた壁です」

 ゴールドの線が、三枚の鏡からクラベールの顔へ伸びた。

「発生源は、左右の鏡板」

 クラベールが両腕を振る。

 三枚の鏡が前へ滑り出した。

 レイが中央の一枚へ両腕を当てる。

「センター・グラビティホールド」

 マゼンタの固定リングが足元へ広がる。

 中央の鏡が止まった。

 左右の鏡が、中央を避けて内側へ曲がる。

 ミオの進路を両側から挟もうとした。

 ナギがクラベールの顔へ照準を合わせる。

「鏡の動きは、鏡板の発光から0.9秒遅れています」

 左右の鏡板が白く光った。

「次の更新まで0.4秒」

 ゴールドの照準が重なる。

「スキャン・フェイズロック」

 金色の格子が左右の鏡板を固定した。

 迫っていた二枚の鏡が止まる。

 左の鏡は床から一メートル浮いている。

 その下には、ミオが伏せて通れる隙間がある。

「ミオ。レイの左です。浮いた鏡の下を抜けて、正面七メートル」

「了解!」

 ミオが走る。

 浮いた左の鏡の下を滑る。

 鏡の反対側へ出てから、身体を起こす。

 クラベールまで七メートル。

 鏡の中のミオが、さらに先を走っている。

 ミオは追わない。

 目の前のクラベールだけを見る。

 三歩目で、高機動ユニットを開いた。

「ブレイク・ステップ!」

 一気に間合いへ入る。

「ブレイク・スラッシュライン!」

 シアンの刃が、左右の鏡板を横に切った。

 三枚の鏡が光の粒となって消える。

 クラベールが後ろへよろめいた。

 レイが正面へ入り、怪人の両腕を受け止める。

「センター・グラビティホールド」

 マゼンタの固定リングがクラベールの両足を囲んだ。

 怪人の足が床へ沈む。

 ナギの照準が、割れた鏡板を固定する。

「発生源、停止しました」

 クラベールが声を上げる。

「一番は誰だ!」

 レイが怪人を押さえたまま答えた。

「私が止めます。ナギが狙います。ミオが切ります」

 三人の胸部エンブレムが同時に光る。

「順番はつけません」

「アークエンジェル・トライアド!」

 マゼンタ、シアン、ゴールドの光がクラベールを包んだ。

 怪人の黒い身体が細かな粒へ崩れ、そのまま消えた。

 ⸻

 イベントプラザ。

 大型ビジョンでは、ランナーが次の周回を走っている。

 上着を押さえていた女性が、手を襟から離した。

 会社員は立ち上がり、端末をポケットへしまう。

「怪我はありませんか?」

 レイが二人へ聞く。

 二人とも首を横へ振った。

 西側の通路へ避難していた人々も、少しずつ広場へ戻ってくる。

 施設の係員が、床へ下ろしたフレームの周囲に黄色い柵を置いた。

 ナギのバイザーから赤い波形が消える。

「周囲の反応、正常です。負傷者はいません」

 レイがバックルへ手を当てた。

「ARK SUIT――DISENGAGE」

 三人の装甲が光の粒となり、バックルへ戻る。

 黒いフィールドスーツが消え、三人は白いジャケット姿へ戻った。

 ミオは大型ビジョンのランナーを見上げた。

「あの人、私より右足の着地がきれい」

 ナギも画面を見る。

「膝が外へ流れていません」

「やっぱり比べるんだ」

「右足だけです」

 ミオは自分の右足を一度上げ、まっすぐ下ろした。

「全部じゃなくて、一か所なら見られる」

 レイがうなずいた。

「直す場所も一か所で済みます」

 ミオがレイを見る。

「レイさんも、誰かと比べる?」

「します」

「何を?」

「二人が危険に気づいた時刻と、私が動いた時刻です」

「遅かったら?」

「次は一歩早く出ます」

 ミオの肩から力が抜けた。

「レイさんでも、次に直すところあるんだ」

「あります」

 三人はイベントプラザを出た。

 次の交差点で、ナギが右を指す。

「私はこっちです」

「ナギさん、おやすみ」

「おやすみなさい」

 レイは直進方向を見た。

「私はこのまま行きます」

「レイさんも、また明日」

「はい。また明日」

 二人がそれぞれの道へ歩いていく。

 ミオは一人で交差点の手前に残った。

 振り返る。

 大型ビジョンでは、モデルが新作の白いジャケットを着ていた。

 ミオは自分のジャケットを見る。

 襟の端を少し直す。

 画面のモデルと同じ形にはならない。

 ミオはもう一度だけ襟へ触れ、手を下ろした。

「まあ、これでいいか」

 信号が青になる。

 ミオは駅へ向かって歩き出した。