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8月15日|消さない一行

アークシティ暦片
8月15日|消さない一行

 都市観測解析室では、夜間分の記録が朝の画面へ順番に送られていた。

 交通量。

 気象変動。

 生活基盤の負荷。

 いつもの項目が、確定、推定、不明の表示に分けられていく。

 赤嶺凪は一つずつ確認していた。

 その中に、一行だけ色の違う記録があった。

 深夜の短い時間。

 複数の観測値の間に、普段とは異なる揺れが出ている。

 大きくはない。

 都市機能への影響も確認されていない。

 前後の記録は正常だった。

 再確認しても、同じ揺れは出てこない。

 凪は表示を開いた。

 発生源――不明。

 再現――なし。

 関連事象――確認できず。

 原因候補――複数。

 そこまで読んだところで、隣の席から声がした。

「それ、通常処理へ戻しますか」

 凪は画面から目を離さなかった。

「通常ではありません」

「でも、再現していません」

「はい」

「影響もない」

「確認できていません」

 返事をしたあと、凪の指が分類欄の上で止まった。

 候補は二つあった。

 観測異常として残す。

 観測ノイズとして閉じる。

 前者を選べば、理由の分からない記録が解析対象として残り続ける。

 後者なら処理は終わる。

 毎日流れ込む観測記録の量を考えれば、再現しない小さな揺れをすべて残すことはできない。

「ノイズでいいと思います」

 隣の解析員が言った。

「今夜また出たら、その時に拾えます」

 凪は眼鏡の位置を直した。

 それは合理的だった。

 同じものが再び現れれば、比較できる。

 現れなければ、一度きりの測定誤差だった可能性は高くなる。

 ただ、一つだけ順序が逆だった。

「ノイズだとは、まだ分かっていません」

「異常だとも分かっていないでしょう」

「はい」

 凪はそこで初めて相手を見る。

「だから、どちらにも確定しません」

 分類欄を開く。

 確定色には変えない。

 警報にも上げない。

 通常記録からも削除しない。

 未確定・再現なし。

 凪はそう残した。

「それだと、未処理が一件残ります」

「残ります」

「いつ閉じますか」

 凪は時刻を指定しなかった。

 代わりに条件を書いた。

 同種の観測が現れた場合は比較対象とする。

 別要因による説明が確認できた場合は分類を更新する。

 一定期間、関連する記録が得られなくても、元データそのものは削除しない。

「答えが出ないかもしれませんよ」

 解析員が言った。

「はい」

 凪は短く答えた。

 答えが出ないことと、何もなかったことは同じではない。

 そう思ったが、口にはしなかった。

 解析は、分からないものへ名前を付ける仕事ではない。

 分かっている場所と、分かっていない場所の境界を残す仕事でもある。

 凪は次の記録へ進んだ。

 朝の都市はすでに動き始めていた。

 エアロシャトルの運行量が増え、生活基盤区の負荷表示が夜間値から切り替わる。

 画面の大部分は、いつもの色へ戻っていった。

 その端にだけ、一行の灰色が残った。

 警報ではない。

 答えでもない。

 消されなかった記録だった。


掲載メモ

1977年8月15日、米オハイオ州立大学のBig Ear電波望遠鏡が、後に「Wow! signal」と呼ばれる強い狭帯域の電波信号を観測しました。その後の再観測では同じ信号は確認されず、現在も起源について研究と議論が続いています。

この掌編は宇宙からの信号そのものをアークシティへ置き換えたものではありません。「一度しか観測できなかったものを、分からないという理由だけで存在しなかったことにしてよいのか」という問いだけを受け取っています。

参照・確認した情報