土曜の夜、紫藤澪はアークドームの連絡通路脇にある食堂へ入った。
入口の表示には、「夜間営業は本日で終了します」と出ていた。
翌週から、厨房は朝の調理に専念する。夜勤者の食事は、保温容器に入れて各休憩室へ届けられることになっていた。
食事がなくなるわけではない。
けれど、仕事帰りにここで温かい椀を受け取れるのは、今夜が最後だった。
澪はいつものスープとパンを頼んだ。
煮込んだ野菜の匂いが、冷えた上着に移る。調理担当者は特別な挨拶もせず、いつもと同じ量を椀へ注いだ。
壁際では、清掃を終えた人が二人で食事をしていた。遅い時間まで働いた保守担当者も、入口で靴の汚れを落としてから席へ着いた。
誰も記念の写真を撮らない。
閉店を惜しむ声も、食器の音に混じる程度だった。
「本当に、今夜までなんですね」
澪が言うと、調理担当者は鍋を混ぜながら答えた。
「夜にここを開けるのはね。私は明日も厨房にいるよ」
「夜勤の分は?」
「朝に作って届ける。同じ鍋で」
澪はスプーンを持つ指から力を抜いた。
「じゃあ、来週も食べられる」
「蓋つきになるけどね」
澪は一口飲んだ。
接続確認で一日中歩いた夜も、帰路が予定より長くなった夜も、この味で初めて空腹に気づいた。食堂へ来るまで、自分が疲れていることさえ分からなかった日もある。
今夜の味は、そのどの夜とも変わらない。
特別な味にしないことが、この場所らしいと思った。
閉店時刻が近づくと、客は一人ずつ椀を返して出ていった。澪は最後まで残ろうとはしなかった。食べ終えたところで立ち、受け取り口へ食器を置いた。
「ごちそうさまでした」
「はい。気をつけて帰って」
いつもの言葉だった。
澪が入口を出る前に振り返ると、調理担当者は翌朝使う保温容器を並べていた。
客席の照明が一列ずつ消えていく。
厨房では、まだ火が燃えていた。
鍋の蓋が触れ合う音が、静かになった食堂へ一度だけ響いた。
掲載メモ
1966年8月29日、ビートルズは米国サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで、最後の有料公演を行いました。
これはビートルズの最後の演奏そのものではありません。1969年には屋上での演奏も行っています。しかし、観客を前に各地を巡るツアーは、この公演で終わりました。
その後も活動は続き、ライブで再現することに縛られない音づくりへ進みました。人前で届けてきた一つの形が終わることは、創作そのものが終わることとは同じではありません。
この短編では、実在の楽曲、会場、演奏者をアークシティへ置き換えていません。「慣れ親しんだ届け方が終わるとき、続くものと失われるものをどう受け取るか」という問いだけを受け取っています。
参照・確認した情報
ビートルズ公式サイトは、1966年8月29日のキャンドルスティック・パーク公演を、同バンド最後の有料公演と記録しています。
レコーディング・アカデミーは、ビートルズが1966年にライブ活動をやめたことで、舞台上での再現に制約されない音楽制作が可能になり、スタジオでの実験へ進んだと説明しています。現地紙『San Francisco Chronicle』も、同日を最後の有料公演として伝えています。
