黒崎玲が研究棟へ着いたのは、夜の実習が終わる時刻だった。
白い作業灯の下で、受講者たちが市の共同分析装置から試料を取り外している。
昼間は設備保守の現場で働き、仕事を終えてから材料の劣化や破損原因を学ぶ人たちだった。
「次の期も、この実習はありますか」
一人が講師へ尋ねた。
講師は、すぐには答えなかった。
「講義は続けます。ただ、この装置を使えるかは、まだ決まっていません」
「装置がなければ、実習はできませんよね」
「見るだけの授業になります」
受講者は黙り、端末でアークレールの最終便を確かめた。
玲は左手首の銀時計へ触れた。
共同分析装置は、市内の研究機関が時間を分けて使っている。研究だけでなく、現場技術者の教育にも使われてきた。
ところが、次の期から利用時間の配分方法が変わろうとしていた。
*
市内の研究機関を比べた新しい順位表が公表された。
順位は、発表した論文の数、研究が引用された回数、重要な研究成果などから算出されている。
研究力を比べるための順位だった。
市の予算部門は、その順位を共同分析装置の配分にも使う案を作った。
上位の研究機関には長い利用時間を与え、下位の研究機関からは時間を減らす。
限られた装置を、研究成果の期待できる場所へ集中させるためだった。
「順位が高い機関ほど、装置を有効に使っています」
予算担当者が会議室で説明した。
「成果を出した機関へ多く配分する。公平で分かりやすい方法です」
壁面には、次の期の利用予定が映っていた。
夜間実習を行っている研究棟は順位が低く、現在の利用時間の半分以上を失う。その中でも、夜間の時間がすべて削られていた。
「なぜ、夜から削ったのですか」
玲が尋ねた。
「昼間は研究に使われています。研究時間を残し、教育利用を後へ回しました」
「順位は、教育も評価していますか」
「研究機関の順位です」
「質問に答えてください」
玲の声が少し短くなった。
「いいえ。論文や研究成果が中心です。夜間実習は評価に入っていません」
順位が低いのは、夜間実習の質が低いからではない。
最初から、夜間実習を測っていないからだった。
「それでも、上位機関へ集めた方が研究成果は増えます」
予算担当者は言った。
「装置を全施設へ同じように分ければ、成果を出せる研究まで遅れます」
「その点には異議はありません」
玲は答えた。
「では、なぜ止めるのですか」
「研究の順位を、教育を切る理由に使っているからです」
*
玲は二つの案を並べた。
一つ目は、順位に応じてすべての利用時間を配る案。
上位機関の研究は進む。配分理由も説明しやすい。その代わり、論文になりにくい教育や現場支援から先に削られる。
二つ目は、すべての機関へ同じ時間を与える案。
小さな施設も守れる。しかし、研究実績や利用状況に関係なく同じ時間を与えれば、使われない時間が生じる。装置を必要とする研究を待たせることにもなる。
玲は、夜間実習の記録を開いた。
修了者の多くは、学んだ分析方法を保守現場へ持ち帰っている。
その一方で、基礎講義の一部まで共同分析装置のある部屋で行われていた。装置を使わない時間も含まれている。
夜間実習を現在の形のまま、すべて守る理由にはならなかった。
玲は認証欄の手前で指を止めた。
順位を無視すれば、成果を出している研究を遅らせる。
順位だけを見れば、そこで測られていない仕事が消える。
「利用時間を、目的ごとに分けます」
玲は言った。
「研究に使う時間は、研究順位と実際の利用実績で配分してください」
「教育利用は?」
「別に審査します」
共同分析装置を使わなければ学べない実習だけを残す。
教室で行える基礎講義には、装置の利用時間を割り当てない。
受講者数だけでなく、修了後に学んだ技術がどの現場で使われたかも確認する。
半年ごとに結果を見直し、必要性を示せない実習時間は研究枠へ戻す。
「上位機関の利用時間が、当初案より減ります」
「減ります」
「進められない研究が出ます」
「記録してください」
「夜間実習も、今までどおりには残りません」
「それも記録します」
玲は、全施設へ同じ時間を与える案を採らなかった理由も残した。
順位がすべてではない。
だが、順位が示した研究力の差まで無視するつもりもなかった。
*
次の期。
夜間実習は、月四回から二回へ減った。
基礎講義は別の教室へ移され、共同分析装置を使う日にだけ受講者が研究棟へ集まる。
一方、上位の研究機関では、予定していた長時間実験の一部が次の期へ送られた。研究者からは、成果を上げた施設が優先されないのは不公平だという異議が届いた。
夜間実習の受講者からも、学べる回数が少ないという不満が出た。
玲は両方を判断履歴へ残した。
配分方法を変えても、装置を使える時間そのものは増えない。
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夜の研究棟で、二回目の実習が終わった。
一人の受講者が試料を片づけ、次の利用者へ装置を渡す。
「もう終わりですか」
「今日はここまでです」
講師が答えた。
「続きは次の実習で」
受講者は名残惜しそうに装置を見たあと、最終のアークレールへ向かって歩き出した。
以前より実習時間は短い。
それでも、見るだけの授業にはならなかった。
玲は廊下の灯りを一度見て、配分記録を閉じた。
順位は、研究成果を比べるためには役に立つ。
だが、そこで測っていないものの価値までは決められない。
必要だったのは、順位を捨てることではなかった。
何を決めるための順位なのかを、間違えないことだった。
話題の要点
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ARWU 2026は研究実績を中心とする国際大学ランキングである。
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評価対象は2,500校超、公開対象は上位1,000校。
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六つの定量指標により、研究力の一側面を比較している。
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学習環境、就職実績、教育、地域貢献は直接の評価対象ではない。
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数字の透明性と、その数字を本来の目的以外へ使うことは別の問題である。
発表日/出来事の日
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発表日:2026年8月15日
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出来事の日:2026年8月15日
現実と作中の切り分け
現実のARWU、公表団体、大学、順位、評価結果を、作中の施設や制度へ置き換えたものではありません。作品では、「特定の目的で作られた順位を、資源配分という別の判断へどこまで使えるか」という構造だけを受け取っています。
