食品処理棟の夜勤を終えた女性が住居棟へ戻ると、端末に通知が届いた。
〈正午の電力利用にご協力ください〉
洗濯、給湯、蓄電、車両の充電。普段は朝や夜に行うことを昼へ移せば、生活支援の還元を受けられる。
女性は短く答えた。
〈この時間は休んでいる〉
それから部屋の遮光板を下ろした。
彼女にとって正午は、活動を始める時間ではない。
一日の終わりだった。
*
その頃、アークシティでは電力が余り始めていた。
外周の集光設備と高層部の発電外殻が、雲の切れ間から光を拾っている。発電量が市内の需要を上回れば、都市は設備の出力を落とさなければならない。
不足ではない。
昼につくられる電力を、使い切れないことが問題だった。
そこで都市運営局は、一か月前から小規模な試験運用を始めていた。
試験に参加した住民に、電気を使う時間を昼へ移してもらう。協力した世帯には生活支援の還元を行う。通知の内容は、各人の生活記録や関心に合わせて変える。
料理をする者には、昼の加熱調理を勧める。
車両を持つ者には、昼の充電を勧める。
中間報告では、多くの世帯が使用時間を昼へ移したと記されていた。発電設備の出力を落とす回数も減っている。
試験は、成功に見えた。
その報告書が重力炉管理局・倫理監査部へ送られたのは、事故が起きたからではない。
都市運営局が、この仕組みを市内全域へ広げる前に、生活記録を使った働きかけが適切かどうか、監査を求めたためだった。
*
黒崎玲は、中間報告の一覧を見ていた。
参加した世帯の隣に、別の分類がある。
〈行動変容未成立〉
「これは、どういう意味ですか」
玲の向かいに座る実証責任者が答えた。
「通知を送っても、昼の電力使用量が増えなかった世帯です」
「理由は」
「回答は任意です。今回の目的は、どれだけ電力を昼へ移せるかを確かめることですから」
玲は、一件の記録を開いた。
食品処理棟で働く登録居住者。夜間勤務を終えて正午前に帰宅し、夕方まで眠る。
最初に届いたのは、昼の調理を勧める通知だった。
本人は、〈この時間は休んでいる〉と答えている。
翌週には、昼の洗濯を勧める通知が届いた。
その次は、昼の給湯だった。
提案する行動だけが変わり、時間は変わっていなかった。
「本人は、昼を選べないと答えています」
「拒否とは処理していません」
責任者は言った。
「最初の提案が生活に合わなかったと判断して、別の選択肢を出しています」
「合わないのは、提案の内容ではありません」
玲は記録を閉じなかった。
「時間です」
次に開いたのは、旧型住居棟で暮らす一時滞在者の記録だった。
室内の給湯器と空調は、遠隔で開始時刻を変えられない。共同充電設備の利用権もない。本人が昼へ移せる電力は、照明と小型調理器具だけだった。
この住民も、同じ分類に入っていた。
〈行動変容未成立〉
「眠っている者と、動かせる設備を持たない者と、提案を断った者が、すべて同じになっています」
「結果だけを見れば、昼の使用量が増えなかった点は同じです」
「電力の結果は同じです」
玲は二つの記録を並べた。
「人の判断は同じではない」
責任者は、試験の工程表を表示した。
「いま条件を変えれば、開始時の結果と比べられなくなります。通知を減らせば、昼へ移る電力も減る。試験期間を延ばす余裕もありません」
言い訳ではなかった。
昼の余剰電力は現に発生している。使える電力を捨てずに済む仕組みは必要だった。
「これは制度化する前の試験です」と責任者は続けた。「反応する人だけでなく、反応しない人を知るためでもあります」
「反応しない人、ではありません」
玲の声は変わらなかった。
「反応できない条件が、記録から消えています」
今すぐ罰を受ける者はいない。電力料金が上がるわけでもない。
だが、この報告をもとに次の制度が作られる。
〈関心に合った提案を送れば参加は広がる〉とだけ結論づければ、参加できる設備や生活時間を持つ者が標準になる。昼に眠る者や、動かせる設備を持たない者は、本人の消極性によって参加しなかったように残る。
玲は言った。
「試験は継続してください」
責任者が顔を上げた。
「止めないのですか」
「余剰電力への対策は必要です。ただし、通知と記録の扱いを変えます」
玲は条件を示した。
「同じ時間帯は無理だと答えた者へ、内容だけを変えて繰り返し送らない。通知の停止を選んでも、消極的な参加者として扱わない」
「比較条件が変わります」
「変えた時点を記録に残してください」
「中間報告との連続性が失われます」
「失われたことも、試験の結果です」
玲は、一覧の分類を指した。
「最終報告では、一つにまとめない。本人の意思、勤務時間、設備条件、居住上の利用権。確認できた理由だけを分けて残す。分からないものは、分からないと記してください」
「昼へ移せる電力は、予測より少なくなります」
「その差は、私の監査判断に帰属させます」
責任者はしばらく黙っていた。
やがて、変更後の条件を電子記録へ登録した。末尾に監査責任者の承認欄が開く。
玲は署名した。
*
三日後の正午。
アークシティの外周では、一部の発電設備が出力を落としていた。昼へ移せた電力は、修正前の予測に届かなかった。
同じ時刻、居住基盤区の共同洗濯室では、午前勤務を終えた住民が乾燥機の開始時刻を昼へ移した。
窓の外を、青白い航行灯をつけたエアロシャトルが通り過ぎていく。
食品処理棟の夜勤を終えた女性の端末には、正午の提案を停止したことを知らせる短い表示だけが残っていた。
彼女は遮光板を下ろし、眠りについた。
監査室の集計画面には、新しい欄が加わっていた。
〈生活・設備条件により参加できず〉
夜間勤務のため昼に眠る者と、時刻を変えられる設備や利用権を持たない者が、そこへ分けて記録されている。
昼の電力使用が増えなかったという結果は同じでも、提案に応じなかった者と同じ分類には入らない。
拾えた人数は、まだ少ない。
余剰電力が減ったわけでもない。玲はそれを成果とは記さなかった。
ただ、本人には選べない事情を、本人が応じなかった結果として残さずに済んだ。
玲は、その分類を以後の集計にも残すよう、判断履歴へ登録した。
着想となったニュース
再生可能エネルギーが余る昼間に需要を増やす実証と、生活者ごとに働きかけを変える試みから着想を得ています。作中の人物、制度運用、監査判断、アークシティでの出来事は架空です。
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環境省「令和8年度昼の再エネ余剰電力需要創出モデル実証への参加者の募集について」(2026年8月7日)
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九州電力「環境省の令和8年度昼の再エネ余剰電力需要創出モデル実証を実施します」(2026年8月7日)
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KPMGコンサルティング「昼の再エネ余剰電力需要創出モデル実証を九州電力と共同で実施」(2026年8月7日)
