土曜日の夕方、紫藤澪はアークドーム中央部の立体走路にいた。
三つの階を傾斜路でつないだコースで、市民競技会の決勝が始まろうとしている。
澪が見に来たのは、以前の接続確認で一緒に働いた若い保守員から招待されたからだった。
準備区画へ行くと、その保守員は計測帯を手首に巻こうとしていた。だが、指が震えて留め具を閉じられない。
「手を痛めた?」
澪が尋ねると、保守員は首を振った。
「怖いんです」
「走るのが?」
「これだけ人が見ているところで走るのが」
観客席は満員ではない。それでも、普段は人のいない時間に働く保守員にとって、自分の名前を呼ばれて走るのは初めてだった。
出走を取りやめることもできる。
澪がそう伝える前に、保守員は震える手首を差し出した。
「これ、留めてもらえますか」
澪は計測帯を締めた。
「苦しくない?」
「大丈夫です」
保守員は深く息を吐き、開始線へ向かった。
合図とともに、六人が走り出した。
一周目、その保守員は最後尾にいた。前を走る選手との間が広がる。
観客席から声が飛んでも、急いで追わなかった。
二周目、先頭の選手たちの速度が落ちた。長い傾斜路で一人を抜き、上の階でさらに二人を抜いた。
最終周に入っても、走り方は変わらない。
最後の直線で先頭に並び、そのまま半歩だけ前へ出た。
着順表示の一番上に、保守員の名前が現れた。
表彰を終えた保守員が戻ってきた。胸には小さなメダルがある。
水の容器を開けようとした指は、まだ震えていた。
「止まってないね」
澪が言うと、保守員は自分の手を見た。
「勝てば、止まると思っていました」
「怖いまま走ったんだ」
保守員は少し驚いた顔をしてから、笑った。
保守員は給水ボトルを片手で押さえ、もう一方の手でゆっくり蓋を回した。
指はまだ震えていたが、今度は開いた。
次の種目を知らせる音が響いた。
保守員が顔を上げる。その胸元で、メダルが容器へ小さく触れた。
掲載メモ
1960年9月5日、ローマオリンピックのボクシング・ライトヘビー級決勝で、当時18歳だったカシアス・クレイ、後のムハンマド・アリが金メダルを獲得しました。
決勝では、三度の欧州王者だったポーランドのズビグニェフ・ピエチコフスキを破っています。IOC公式結果、ムハンマド・アリ・センターの年表
アリ・センターは、飛行機を恐れていたクレイが、軍放出品のパラシュートを身につけてローマ行きの便へ乗ったという逸話も紹介しています。
この短編では、ボクシングや実在の選手をアークシティで再現していません。「怖さが消えてから挑むのではなく、怖さを抱えたまま大きな場へ立つこともできる」という一点を受け取っています。
参照・確認した情報
ムハンマド・アリ・センターは、クレイが1960年9月5日に18歳でライトヘビー級金メダルを獲得したと記録しています。
IOCの公式記録でも、同種目の金メダリストはカシアス・クレイ、銀メダリストはズビグニェフ・ピエチコフスキと確認できます。
