仕事を終えた紫藤澪は、自室へ戻る途中、居住棟一階の共用ラウンジで足を止めた。
普段は住民が休憩や待ち合わせに使う場所だが、今夜は椅子が壁に向けて並べられている。壁面の共用表示には、古い宇宙船を描いた空想科学ドラマが映っていた。
昔の人が想像した未来を鑑賞し、そのあとで百年後のアークシティを描く住民向けの催しだった。
上映は始まったばかりだった。澪は帰宅を少し遅らせ、最後列の空いている椅子へ座った。
映像の中では、宇宙船の乗組員が大きな通信機を何度も操作していた。操縦席にも、用途の違うスイッチが隙間なく並んでいる。
前列の子どもたちが笑った。
「連絡するだけなのに、時間がかかりすぎる」
「画面も小さい」
澪も同じことを思った。
映像は、二十一世紀より前に作られている。そこで未来の技術として描かれたものの多くを、アークシティはすでに追い越していた。
やがて宇宙船は、誰も調べたことのない場所へ着いた。
乗組員たちは、目の前の現象を理解できなかった。出身も専門も違うため、意見も合わない。それでも一人の判断だけで進まず、分かったことを持ち寄り、進むか戻るかを全員で考えていた。
さっきまで笑っていた子どもたちが、静かになった。
一人が隣の大人へ尋ねた。
「機械は古いのに、どうして今も見るの?」
大人は少し考えてから答えた。
「この物語が見せたかった未来は、機械だけではなかったからだよ」
澪は、もう一度画面を見た。
昔の人は、現在の装置を正確に予想したわけではない。
まだ実現していなかった技術だけでなく、違う考えを持つ人々が同じ船に乗り、未知の場所へ進む姿も描いた。その未来像が、長い時間を越えて残ったのだ。
上映が終わると、壁面の宇宙船は消えた。
続いて、卓上へ現在のアークシティが表示された。参加者は、その周囲へ自由に百年後の街を描いていく。
ある子どもは、アークドームの外へ一本の線を伸ばした。
隣の子どもが尋ねる。
「その線は、どこにつながるの?」
描いた子は、線の先を空白のままにした。
「まだ分からない。誰も行ったことがないから」
「それなら、どうして線を描くの?」
「行ってみたいから」
澪は小さく息を吐いた。
アークシティも、かつて誰かが思い描いた未来の一つだった。
しかし、この街が完成したからといって、未来を考える仕事まで終わったわけではない。
澪がラウンジを出るとき、子どもはまだ線を描いていた。
その線は、完成した街の端から、何も描かれていない場所へ伸びていた。
掲載メモ
1966年9月8日、テレビドラマ『スター・トレック』が米国で初めて放送されました。
未来の宇宙を舞台に、異なる背景を持つ乗組員たちが同じ宇宙船で未知の世界を探検する作品です。放送開始から六十年を迎えた現在も、作品が描いた技術だけでなく、多様な人々が協力して未来へ進むという考え方が語り継がれています。
この短編では、作品の宇宙船、人物、物語をアークシティで再演していません。「未来都市に暮らす人も、さらに先の未来を想像し続けられるか」という問いを受け取っています。
参照・確認した情報
『スター・トレック』は1966年9月8日、エピソード「The Man Trap」によって米国NBCで放送を開始しました。なお、カナダでは同じ回が9月6日に先行放送されています。
スミソニアン国立航空宇宙博物館は、同作が三シーズンの放送から大きな文化的影響を持つシリーズへ発展したと説明しています。公式サイトも、作品が多様性、受容、希望を描いてきたことを、その長期的な遺産として挙げています。
